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2004.03.23

昔はお金を埋めたのね



(引用開始)

和同開珎60枚が出土 野洲の夕日ケ丘北遺跡


 滋賀県教委は22日、野洲町大篠原の夕日ケ丘北遺跡の一般集落跡から、地鎮(じちん)祭のために埋めたとみられる銭貨「和同開珎(わどうかいちん)」60枚が出土した、と発表した。奈良県の平城京跡や三重県の斎宮跡などで地鎮祭に用いた和同開珎の出土例があり、県教委は「地鎮の風習が、都から古代近江の有力者まで浸透していたことを裏付ける出土」としている。
 和同開珎は、和銅元年(708)から鋳造が始まった銅貨で、直径約2・5センチ。同遺跡の掘立柱建物跡近くの二つの穴から、53枚と7枚が出土した。県内では、日野町の宮ノ前遺跡で100枚がまとまって出土した例がある。
 平城京跡や斎宮跡などでは、墨書土器やすずりなどと一緒に出土、地鎮祭に安全祈願のために埋められたとみられている。今回の集落跡は規模が小さいことから、県教委は、一般の地方有力者が地鎮祭で埋めたと推定している。
 大阪市立大の栄原永遠男教授(日本考古学)は「8世紀後半の県南部で、一般有力者まで銭貨が流通していたことが分かる貴重な資料だ」と話している。
 出土した和同開珎は、近くで出土したガラス玉2個と水晶の丸石2個などとともに、23日から、野洲町辻町の銅鐸(どうたく)博物館で展示される。(京都新聞)

(引用終了)

 地鎮祭で和同開珎埋めちゃうんですね。
 貨幣を流通させることは朝廷の願いでもあったはずなのに、へぇ、って感じです。

 さて、和同開珎はちょっと前までは日本最古の貨幣と言われていましたが、先日「富本」銭が出てきたので、最古ではないことが分かりました。1998年に見つかったので、知らない方もいらっしゃるかもしれませんね。2000年に明日香で見て来ました。

 皇朝十二銭は和同開珎、万年通宝、神功開宝、隆平永宝、富寿神宝、承和昌宝、長年大宝、饒益神宝、貞観永宝、寛平大宝、延喜通宝、乾元大宝です。銀銭なども作られましたが、西暦708年から250年の間に作られた銅銭を特に皇朝十二銭といいます。

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コメント

 なんちゃんさん、コメントをありがとうございました。
 そうですねぇ、解釈は難しいですね。1998年の再発見がなければ「最古の貨幣」の検討がなされなかったことを考えると、やはり1998年確認と言うことですね。アメリカ大陸の話のようだわ。(でも、難しいなぁ。)明日香での発掘がなく、昭和44年の出土時のままだったら、富本銭は「まじない銭」としか考えられていないと思うと、常に新しいものを追っていないとだめなんだなぁ、と思います。あー、発掘してみたいなぁ。

投稿: みゅーみゅー | 2004.03.25 09:16

みゅーみゅーさん、こんにちは。

どうも昭和44年に平城京跡から出てきたのが最初だそうで、江戸時代の古銭カタログみたいなものには載っていたそうですね。厭勝銭と考えられていたようです。それが平成11年に再発見されたんで大騒ぎという感じですね。
http://www.town.takamori.nagano.jp/ka-fuhon.htm
あたりに詳しいことが書かれています。

和銅は改元もされていますので、実用上は和銅かもしれないので、難しいですね。

ちょっとつっこんでみました。(^^;

投稿: なんちゃん | 2004.03.23 22:09

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