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2004.03.25

私情が入っているのかな?

 [時事通信社:2004年03月25日 19時05分]



(引用開始)

女帝・称徳天皇の大嘗宮跡発見=大きな規模、僧侶列席の即位事情表す?-奈良(時事通信)


 奈良文化財研究所は25日、奈良市内の平城宮跡で、奈良時代後期の女帝・称徳天皇(在位764~770年)即位を受け765年に行われた大嘗(だいじょう)祭用の建物「大嘗宮」の跡を見つけたと発表した。
 大嘗祭は、天皇が即位後最初の11月に神とともに穀物を食べるとされる儀式。称徳天皇の大嘗宮は、他の天皇より規模が格段に大きかった。病を治してくれた僧、道鏡を寵愛(ちょうあい)していた称徳天皇は神式の大嘗祭に僧侶を参加させており、同研究所は「多くの僧を参列させるため規模を大きくしたのではないか」としている。
 称徳天皇は、聖武天皇と光明皇后の娘で749年に孝謙天皇として即位。9年後にいったん譲位したものの、称徳天皇として再び即位した。 

(引用終了)

 孝謙・称徳天皇(阿倍内親王)は、天皇になるべく育てられた内親王です。母親は光明皇后(光明子・安宿媛)、藤原不比等の娘です。光明子が聖武天皇の皇后に立つのにひと悶着ありました。これが「長屋王の変」です。その混乱のさなか彼女は育ちました。

 聖武天皇には安積親王と言う男子がいたのに、阿倍内親王を皇太子に立てたのは異例中の異例のことでした。天皇として立った女帝はいましたが、みんな中継ぎです。が、立太子は阿倍内親王が初めてです。が、これも「まだ生まれていない」藤原腹の男子誕生までの中継ぎとも考えられます。(結局生まれませんでしたけど。)

 光明子が残した「楽毅論」は、王義之の「楽毅論」を臨書したものですが、これがまた大胆な筆です。気の弱い聖武天皇のお尻をさぞかしたたいていたことでしょう(^^;。光明子の母、県犬養橘三千代も陰の実力者だったので、その教育もあるのかもしれませんね。

 さて、孝謙天皇、夫は居ませんでしたので、跡継ぎも自分の系統と言う意味ではいませんでした。藤原仲麻呂や道鏡を重用し、政治を補佐させたようです。道鏡重用は、自分の病気を呪術によって治してもらったのが発端と言われています。道鏡とは変なうわさもあるようですが、事実はどうであったかは分かりません。ただ、度を越した偏愛振りは道鏡の出世振りを見るとよく分かります。

 


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